あ、それ仏教用語です その3
わたしたちは日常において意識せずに『仏教用語』を使っています。
今回は3回目になります。(第1回、第2回はこちら)
次の文章に仏教用語が5つ隠れていますので探してみていただければ幸いです。
住職のつぶやき作文(仏教用語5つあります)
時間は不思議
楽しいときは一瞬で過ぎ去り
退屈なときは果てしなく長い
チクタクチクタク平等に
進む時計を疑わしくなるほどに
その味わいは変わります
幾日、幾月、幾年も
過ごした時間の積み重ね
どのように過ごしましょう
朝露のように儚い身でありながら
油断しがちなこの私
手が合わさるひとときを
安心の日暮らしを
かくれていた仏教用語の解説
その1「不思議(ふしぎ)」
不思議は思いはかられないこと、いぶかしいことという意味の日常語です。不思議は「不可思議(ふかしぎ)」の略です。人間の言葉で言い表したり、心でおしはかることのできないことをいい、仏の悟り、智慧や誓願などの形容に用いる語で仏典によく登場します。
その2「退屈(たいくつ)」
退屈といえば、何もすることがなく、暇を持て余すことを意味する言葉です。しかし、退屈は、もともと仏教語で、仏道修行の苦しさや難しさに屈して、仏道を求める心が退き、精進努力する心を失うことを意味しました
その3「平等(びょうどう)」
平等とはかたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいことの意です。仏教では慈悲が強調され、仏さまは生きとし生けるものすべてを分け隔てなく愛おしんでくださると考えられ『平等大悲』という言葉があります。インドにあったカーストという身分制度をお釈迦さまはいかなるものも差別があるべきでないと否定しました。
その4「油断(ゆだん)」
昔、ある王様が一人の部下に油がいっぱいに入った壷を持って歩かせて「もし注意を怠って一滴でも油をこぼしたら、汝の命を断つ」と命じたそうです。これは、不注意は最大の敵だという戒めでした。この「油で命を断つ」という故事から、注意を怠ることを「油断」というようになりました。
その5「安心(あんじん)」
安心(あんしん)とは、「気にかかる事がなく心が安らかなこと」をいいます。仏教では「あんじん」と読みます。仏教が説く「あんじん」は心の安定が一時的ではなく、ずっと続いた状態のことをいいます。すなわち「仏さまの教えに照らされて揺るぎない、何ものにも侵されない心の安定を得ること」を意味します。
さて、今回はいかがでしたでしょうか。
まだまだ日常に仏教語は隠れているようですので、またの機会にご紹介させていただければと思います。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏