あ、それ仏教用語です その2
わたしたちは日常において意識せずに『仏教用語』を使っています。
今回は2回目になります。(第1回はこちら)
次の文章に仏教用語が5つ隠れていますので探してみていただければ幸いです。
住職のつぶやき作文(仏教用語5つあります)
先日、小学生の長男と
おてらおやつクラブの
お菓子を買いに出かけました。
彼のおやつを買うわけではないので
欲しい気持ちを我慢しながらも
みんなが喜んでくれることに
思いを馳せながら選びました。
お寺に戻り阿弥陀さまの前に飾り
行儀よく手を合わせたあとに
箱に詰めてこども食堂に送りました。
彼のこころのなかで
わけあうことの喜びが
自然と育ってくれればとも願いつつ
ともに続けて参ります。
※「お寺」と「阿弥陀さま」は隠れていませんので正解ではありません。
かくれていた仏教用語の解説
その1「学生(がくしょう)」
仏教では、学生は「がくしょう」と読み、学匠とも書きます。もとは寺院に一時的に身を寄せて、仏教やその他の学問を学ぶ者に名付けられました。
その2「我慢(がまん)」
我慢といえばわがままな欲望を抑え、 逆境を耐え忍ぶ意味で使われています。しかし元々は自らを周囲よりも優れていると勘違いをして妄念する七つの慢心のうちのひとつが我慢なのです。自分の心と体について、永遠不変で確固たるものだと思いうぬぼれることを意味します。
その3「行儀(ぎょうぎ)」
行儀は、現在では立居振舞の作法の意味で使われていますが、もともとは仏事の儀式や僧侶の行為や動作の作法に関する専門用語でありました。これが室町時代になると、僧侶以外の一般の人々の行動にも用いられるようになりました。
その4「食堂(じきどう)」
この食堂は仏教語で「じきどう」と呼ばれ、寺院において修行する大衆の食事を行う堂をさす言葉でした。食堂にはご本尊が荘厳されており、我々が一分一秒たりとも、他のものの命を奪うことなしに生存することはできない身であることを知り、黙々と感謝とともにいただく場であったようです。今の時分においても、いのちをいただく営みへの感謝と反省の気持ちを大事にしたいものです。
その5「自然(じねん)」
自然は「じねん」と読まれ、人為的なものに対して、自(おの)ずからそうなっていることを意味します。この場合は「自ずから然(しか)り」と読みます。親鸞聖人は、「自ずから然らしむ」と読み、人間のはからいを超えた阿弥陀仏のはからいによる救いをあらわす語として大事になされました。
さて、今回はいかがでしたでしょうか。
まだまだ日常に仏教語は隠れているようですので、またの機会にご紹介させていただければと思います。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏