あ、それ仏教用語です その5
わたしたちは日常において意識せずに『仏教用語』を使っています。
だいぶ日があいてしまいましたが5回目をば。(過去の記事はこちら)
次の文章に仏教用語が5つ隠れています。ぜひ探してみてくださいませ。
住職のつぶやき作文(仏教用語5つあります)
何を隠そう私は大喜利が好きでして
友人がオンライン上で主催している場に
参加させていただいております
出されたお題に対して
知識を結集させて回答を絞り出します
私の流儀として誰かが傷つくような回答に
ならないかをかなり用心しています
ウケるときもありますが
スベるときもしょっちゅうです
ともあれ色々な切り口の回答が
あることを楽しむのが
一番の醍醐味なのかもしれませんね
かくれていた仏教用語の解説
その1「知識(ちしき)」
知識は「考えるはたらき、理解している内容」を表す言葉でありますが、仏教では「友人、親しい人」を知識といいます。さらに善知識を略して知識と呼びます。善知識とは仏縁を結ばせてくれる人、教え導いてくださるかたをさします。手が合わさる私にお育て預かったのは、縁ある方々、善知識のおかげさまに他なりませんね。
その2「結集(けつじゅう)」
「みんなの力を結集して、この難局に立ち向かおう」などとばらばらになっているものをひとつにまとめる意があります。仏教ではこれをケツジュウと読みます。お釈迦様が往生なされた後に弟子たちが集まり、記憶していた教えを持ち寄りました。その教えを整理して声を合わせて読むことによって経典が完成しました。すなわち結集とは仏典編集会議をさします。
その3「用心(ようじん)」
用心とは、心を用いること、万一に備えることを意味する日常語です。あの人は用心深いなどと使われますね。「用心」は「常存正念」とも訳されるように、仏教では平素から正しく心をはたらかせていることを用心というのです。
その4「しょっちゅう」
いつも、常に、終始との意で「しょっちゅう」という言葉が使われます。お釈迦さまが弟子たちに対して、「あなたたちは、世の束縛を脱して心の自由を体得した。これからは世の人びとの利益と幸福のために、諸国をまわりなさい。」 と宣言されました。さらに「初め善く、中ごろ善く、終わりも善く、道理と表現を兼ね備えた法を説きなさい」と諭されました。この「初中終」が「しょっちゅう」と変化しました。
その5「醍醐味(だいごみ)」
「ホームランこそ野球の醍醐味」などと何ものにもかえられない楽しさ、真骨頂、妙味を醍醐味といいますね。
『涅槃経』に「五味」が説かれます。それは、「牛乳を精製していくと、その味は、乳味→酪味→生酥(しょうそ)味→熟酥味と、しだいに美味しさが増して、最後の醍醐味になると、最高の味になる。その最高の味こそ涅槃の境地である」とあります。実際には純粋なバター状のものだったようです。醍醐味はサンスクリット語で「サルピス・マンダ」といいます。ちなみに「カルシウム」入りの乳飲料が「カルピス」と命名されたのは仏教学者の渡辺海旭師が「サルピス」になぞらえたことが由縁だそうです。
さて、今回はいかがでしたでしょうか。
まだまだ日常に仏教語は隠れているようですので、またの機会にご紹介させていただますね。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏