淨音寺
淨音寺
髙龍山淨音寺は
明治時代後期に開基されました
浄土真宗本願寺派の寺院です。
百有余年前には
茶畑が広がっていたこの地も
今や日本有数の高層ビル街。
新宿の街並みは常に変化し続けています。
だからこそ
変わりゆく時代にも変わらぬ
お念仏の教えと伝統を根幹に据えつつ、
幅広い世代の方が「仏教に出遇う場」を
創造して参ることが当寺の使命になります。
住職よりメッセージ
説教所というルーツを継承しながら、仏教の考え方や浄土真宗の教えを大事に伝えていく場所にしていきたいと思います。そのために参列者の皆さまにも法事を形式的に勤めるだけではなく、それぞれが我が事として捉えてもらえるような法事を目指しております。
お寺の役割
法事はもともとグリーフケア(悲嘆の癒し)の役割も担っていたように思います。法事を通して「ここでは安心して大切な方のことを話してもよい」という場に育てていきたいです。参列者によっては、気持ちを口に出され、自分の言葉を聞くことによって、ご自身が思いもしなかった気づきに出会われる方もいらっしゃると思います。
淨音寺の由縁
親鸞聖人ご流罪の地に起源あり
承元元年(1207)、専修念仏停止の法難を受けて越後国府へ御流罪となった親鸞聖人。その旅の途中、居多ヶ浜に上陸したと伝えられています。上越一円の真宗門徒の声により、高田の地に淨音寺が建立されました。
茶畑の説教所
明治の終わりに、新潟県高田の淨音寺第15世住職髙山僧啓の子、髙山寒月が上京し、「東京淀橋説教所」を設立。当時の新宿は茶畑が多くあり「茶畑の説教所」と親しまれ、九段の説教所に次ぐ、説教所の草分けでありました。
東京大空襲による焼失
東京大空襲により、本堂が全焼してしまいます。御本尊には埼玉県幸手市に疎開していただいたので、終戦後、本堂へと無事にお迎えできました。本堂の完成に合わせまして、本家の寺号「淨音寺」に名称を改めました。
再開発計画により現在の本堂に
2011年4月に成子坂地区市街地再開発計画により、新しく本堂が完成しました。病床の中、命を懸けて仏法を伝える道場の設計図を完成させてから竣工を待つことなく往生した先代住職の髙山正克の情熱が注がれた本堂になります。